宝クジほどファックなギャンブルもないという話

ちょっと前の伊集院光深夜の馬鹿力で「宝クジでは当選しているのに換金されない券が年間225億円分あり、そのうち8割の180億円は300円などの小額当選なんだ」という話をしていた。
で、そうした未換金というのは結局主催の収益となる。
300円とか1000円とかの意味のない当たりがなんで存在しているのかっていうと、「そんなのいいや」ってどうせ換金しに来ない人がたくさん出るだろうことを見込んでいるってこと。小額当選を失くして下手に10万円とかの当選を増やすと、キッチリ換金しにくるから。

だいたい、宝クジの還元率というのはひどい。
あらのHP 宝くじの話に詳しいが、約47%ってなんだよと。世界中に存在するあらゆるギャンブルの中でダントツに一番ひどい。
しかもそれは「買う側にとっての期待値」なのであって、「売る側の利益期待値」はその未換金があるのでもっと高い。

適当にググった範囲ではここに未換金の比率があった。
http://www.chugoku-np.co.jp/Nie/question49.html

手数料や宣伝費などを除いた約四割が収益金として、発売した自治体に納められます。当せん金の支払い期間は一年間で、その間に換金されないと「時効」となり、同じく自治体に納められます。二〇〇〇年度中の時効当せん金は、全国で約二百四十五億円で、一九九九年の販売額全体の約2・6%でした。

「販売額全体の約2.6%」ってさあ。番号打った紙切れ売りさばくだけで粗利55%超とか、坊主丸儲けってレベルじゃねーぞと。
貧乏人の財布から小銭を掠め取るのが資本主義の秘訣だけど、これは公然の詐欺と言って言いすぎとは思わないがな。

前掲のあらのHP 宝くじの話の例によれば、宝クジは1ユニットが1000万枚で一等2億円がその中に一本。
1/10,000,000の確率なんだけど、これがどういう確率かって想像できる?

例えば、ルーレットの赤黒1/2のギャンブルで、元出300円(宝クジ1枚の金額)を賭けて、勝った金額をそのまま倍付けで賭け続けて2億円に達するには何回連続で勝てばいいだろうか(ルーレットの0はこの際考慮しないということで)。
19回連続で勝つと157,286,400円。
20回連続で勝つと314,572,800円。


それぞれ確率は1/524,288と1/1,048,576ということになる。
これは宝クジの一等を当てるより10倍以上程度効率がいいということだ。


「ルーレットで20回連続で当たり続ければ、300円が3億円になる!」なんて言うヤツがいたら、普通は「救いようのないバカが現れた」と思うはずだ。
しかし、確率的事実を考えれば「宝クジでもし一等が当たったら…」なんて考える方が、悲しいことに「もっと救いようのないバカ」なのだ。

それでだ。先に「バカ」って言ってしまったことに語弊があるのは承知で言うが、宝クジの主な購入層は低収入層。
当たり前だ。金融資産一億円を所有している富裕層がわざわざ宝クジなんて買うだろうか?(いや、買わない)。そりゃあ反語も使いたくなるよ。
宝クジは「庶民の夢」なんかじゃない。見せ金に釣られた貧乏人を効率よく搾取するシステムという方が正確だ。
事実上無に等しい「夢」とやらを掴ませて、搾取された自覚すら持たせない。

ところで、宝クジは実態としてはギャンブル以外のなにものでもないのに、なぜ一般的にダーティなイメージを持たれていないのだろうか。 主催が政府(地方自治体)だから?それも多少はある。
しかし、多分一番の要因は、「宝クジはギャンブルとしてあまりに期待値が低く、まず当たることがなく、面白みがない」ということだろう。人がギャンブルに入れ込むのは、「たまに勝てる」からだ。
宝クジはまず当たらない。まず損をする。そしてさらに結果が判明するまでの過程になんの面白みもない。 こんなものを人が喜んで買うだろうか、と普通は考える。
しかし、そのギャンブルとしてあまりに魅力がないという点を逆用してクリーンなイメージを獲得し、一般層に売り込むことに成功したギャンブルというのが宝クジだと言える。
ファック極まりないぜ。


まあ、あれだ。
こんなもん買う金があったら大切な人に花束でも贈れと。
妄想の一億円よりもっと素敵なものが手に入るだろう。