どういう「相談」ならしていいのだろうか

そもそもそれ解決法じゃなくねーか、という話
男性の場合でも、酒の席の愚痴ってのはまさにそうだな。
「上司(あるいは部下)が使えなくてさ…(以下略)」なんて話を聞いて、「でもそれはなんとか教育するしかないんじゃないの?」とか「仕事がイヤなら辞めれば?」みたいな返しをしてみるといい。「それができないから苦労してるんじゃねーか」といった反発を招くに決まっている。
挙句の果てに「そんなの我慢してうまくやってくしかないじゃないか」などと言われたら、そりゃ「そういうことじゃねーよ!愚痴ぐらい言わせろ!」ということにもなるわな。
そりゃあ中には「その発想はなかった」ってエレガントな解決策を提示できることもあるかもしれんが、そんなケースは極々稀にしかない。一般人がすぐ思いつくような一般論が解決になることはないわな。
結局そこで一番求められてるのって、「やっぱり使えない奴がいると困るよなー」みたいな、話を聞くことと共感なんだよな。
これって、ここで言っている女性の「相談」と構造は一緒だよな。


問題は、「共感を求める場」に対する意識が食い違っていることなんじゃないかと。
男性は「相談」といった場合に、建設的な方向での意見のやりとりをイメージする。というか、人と話をするときには前向きで建設的な発言をしなければならない、という意識を持っていることが多いのではないか。
「解決策どうこうはともかく、とにかくオレの話を聞いてほしい」といった話をするためには、「酒の席だから」とか「カウンセラー相手だから」といったエクスキューズを必要としてしまう。
そういった話をすることは「弱みを見せることになるからダメ」だと思っている。


対して女性は、そうしたこだわりをあまり持たないように思える。具体的な解決策だけじゃなくて、「共感してもらうという形の解決」を求めて「相談」をする場合が結構あるのかもしれない。
元記事の例で考えてみれば、妻が問題を抱えているということを夫が理解するということだけでも、十分大切なことではないか。解決策がとりあえずはなくとも、「夫婦で問題を共有すること」自体がひとつの前進だし、そのために「相談」という行為をすることは何もおかしくない。
でも、「オレが容易に解決策を提示できないような問題を持ち込むな!」って態度を結果的に取りながら、いざ本当に夫婦関係がこじれたりした場合には「悩みがあったのなら気軽に相談してくれればよかったのに…」などと言う男の例も結構思いつく。そりゃ無理だわな。


この文章でも「男性はこう、女性はこう」みたいな論法を用いてしまった部分はあるけど、もっと一般化して「相談」という行為をどのようなものと捉えるかによって敷居の高さが変化するという問題を考えてみてもおもしろい。男女、親子、友人、上司と部下など色々な人間関係に応用できる。
「問題があったらすぐ知らせてくれ」と言いながら、いざ話をすると「そんなくだらない話を持ち込むな」と言う上司など。もちろん最終的にそれは程度問題ではあるし具体的には個別の事例で考えるしかないが、そうした態度は部下の状態を把握する上で決定的にマイナスに働くことは理解すべきということなど。
コミュニケーションの前提が食い違うと大変だわー。