株式投資はどういう種類のギャンブルか

株式投資はギャンブルである、との認識に変わりはないが、ではこのギャンブルにはどういう特徴があるのだろうか。株式投資ゼロサムゲームではない、ということはよく言われることである。これはどういうことを意味するのか。
個人間でやりとりをするギャンブルは、通常ゼロサムゲームであり、期待値は通常0となる (というより、そうなるように取り決めがなされる)。個人の間で、たとえばジャンケンをして負けた方が勝った方に1000円を払うという賭けを考えてみよう。どれだけやりとりをしたとしても、参加者全員の所持金の和は、初期状態(ゼロ)と変わらない。
しかし、いわゆる「胴元」がいる、大規模なギャンブルは事情が変わってくる。欧米などのカジノの胴元はギャンブルに「参加」している。カジノの収益はプレイヤーの「勝ち負け」に直接連動しているのだ。ただし、その中でもカジノ側に有利に(カジノ側の期待値が正になるように)ルールが設定されている。例えばルーレットには通常の赤と黒以外に0と00というナンバーがあり、ここに止まるとカジノの総取りとなる。だから、ルーレットの期待値はプレイヤーにとっては94.74%となる*1しかし、プレイヤーが大きく当て続ければ、短期的にはカジノが損をすることはありえる。だが、期待値が正に設定されており、胴元であるカジノは常に大量の試行を行うことになるので、大数の法則によってカジノは長期的には必ず勝つようになっている。そうしたカジノの有利さの設定(カジノ・エッジと呼ばれる)はゲームの種類によっても異なり、バカラなどがもっともカジノにとって利が薄いゲームと言われる、つまりプレイヤーの期待値がもっとも大きくなるゲームなのだ(それでも98.64%程度だが)。
ギャンブルの胴元ってそういうものなんじゃないか、と言うなかれ。日本の公営ギャンブルはまた違う形式をとっている。すべての賭け金を一旦プールした上で一定のテラ銭を差し引き、どんな結果が出ても残りの金で間に合うようにオッズを設定するのだ。胴元が損をする可能性は0である。カジノに関しては、「長期的には必ずカジノがもうける」ようになっているのだが、短期的な確率のゆらぎがあるので、すべての客がもうけ、カジノが損をするときもある。しかし、公営ギャンブルでは胴元からの金の持ち出しは一切ないのだ。つまり、日本の公営ギャンブルの胴元はギャンブルをしていない。その上、プレイヤーの期待値は75%という惨憺たる還元率になっている。だからそこにノミ屋が存在する余地があるのだが、それはまた別の話だ。
このように、胴元を通したギャンブルは、構造的に(プレイヤーにとっての)期待値がマイナスになる。もしこれがプラスなら、胴元は常に損をすることになり、そんなギャンブルをだれが執り行おうとするだろうか。いや、しないだろう。
株式市場も短期的にはゼロサム*2であるが、長期的には企業や市場の拡大によってプラスサムの方向に動こうとする傾向がある。ただし当然ながら必ずその方向に進むというわけではない。
もともと株式というシステムがなぜ存在するのかというと、資金を広く募ることによって多くの資本を調達し、企業活動を促進するためというのが本来的な存在意義である。つまり、「すべての株式は、投入された資金に対して利益を生むためにある」はずなのだ。だから、株式市場に金が流入すればするほど、企業の生産活動は拡大し、より多くの価値と利益が生まれ、株価も際限なく上昇し続けるはずである…というのは机上の空論で、もちろん本当にそうなるのかどうかはわからない。恐慌やバブル崩壊といった事態が起こり、株式市場が非常なマイナスサムに陥ったとき、人々は「まさかそんなことが起こるだなんて」とおののくのみである。人類が進歩しない証拠である。
しかし、「原理的にゼロサムやマイナスサムとは決定されていない」ということは、それだけでプレイヤーにとって非常に有利であるということは間違いない。その意味では株式投資は非常に「よい」ギャンブルである。
さらに、株式投資には他のギャンブルではほぼありえない高い自由度があり、リスク分散などの工夫をこらすことによって、リスクとリターンの比率を自分で決定していくことができる。
ただし、多様な投資スタイルが可能であるということは、「株式投資はギャンブルではなく、リスクが少なく確実なもの」ということを意味しない。むしろ限りなくリスクを追求してリターンを高める方法もあるのである。
普通一般的なギャンブルでは、「賭けた以上の金銭を失う」ことはない*3。つまり、この場合は最悪の事態が起きたとしても、「一文無し」になるだけですむ。株式売買でも「現物取引」だけを行うならば、やはり最悪の事態が起こっても0になるだけである。しかし、「信用取引」となるとそうはいかない。場合によっては自分が保有している資産すべてがふっとぶのみならず、巨額の借金を背負うケースも生じるという仕組みなのである。最近起こった事例では、「信用取引」「ライブドア」などで検索してみるとわかるだろう。
もちろん「ひとつの銘柄に信用全力二階建て」などという株式の購入方法をとることなどは、リスク無視にも程のあるまさにギャンブルとしか言いようのない行為であるが、いわゆる「賢い投資」というのがギャンブルではないということではない。それはとても薄められたギャンブルなのだ。
しかし信用取引などという危険な代物に素人が簡単に手を出せるという状況は、その危険性において競馬場やカジノどころの比ではないのではないか。借金してまで万馬券を買う人間はそうはいないし、もちろんそんなことは「自己責任」*4としか言いようがないが、「信用取引」を借金だと理解せずに利用している人もいるのではないか。
そうした意味では、「株式投資は相当えげつないギャンブルである」ということすら言えるのである。

*1:谷岡一郎『ツキの法則』より)。

*2:取引にともなう手数料があるので実際上はマイナスであるが、取引額が大きくなればなるほどその比率は小さくなる。その点では賭け金に対して一定の比率のテラ銭をとられるのが通常のギャンブルより効率をよくする方法があると言える。

*3:賭けを受ける側の胴元は場合によってはそうではなくなる場合もあるが、この場合は一般のプレイヤーにとっての現象だけを考える

*4:それにしてもいやな言葉だが、ことギャンブルに関してはこの言葉を使わざるを得ないと思う