「人間として正しい」ことは最善か

「人間として正しい」ことはおおむね肯定的な文脈で用いられていると思う。
しかし、人間は往々にして無力かつ無能である。
それは時に悪である。

だとすれば、「人間として正しい」ことは本当に良いことなのだろうか?

例えば、あなたの親しい人が強姦され、殺されたとする。
あなたは憤りを感じるだろう。
決して犯人を許すことはできないだろう。

それは、「人間として正しい」。

「人間として正しい」という命題を肯定する限り、人は人の罪を許すことはできない。
許せるのは、「神」のみだろう。
神でなければすべてを許すことはできない。
だからこそ、人は神に許しを請うのである。

神は悔い改めた者を許す。
しかし、だからこそ神の名の下にあらゆる非道が存在したこともまた歴史が示す事実である。

結局、人間は自分の作り出した最大の発明である「神」を持ってしても度し難い。
そんな人間が、「人間として正しい」規範に従ったところでなにほどのものだろう。
我々は、人間として正しくあることですべての罪悪から逃れられるわけではない。
それは「人でなし」がいるせいではない。
みながみな「人間らしくあった」結果である。