なぜ日本人は子どもをつくらなくなったのか

昔は子どもはよく死ぬものだった。現代でも、発展途上国などではそうである。日本人の平均寿命が延びた最大の要因は、乳幼児の死亡率が劇的に下がったためだ。
運良く育って一人で遊べるようになっても、無茶をした事故などで子どもはよく死んだ。しかし、それは天命だった。時に人は死ぬ。それは当たり前のことだ。
現代でも交通事故などで人は死ぬ。しかし、それらの事故に親は責任を求めるようになった。加害者・管理者・責任者。だから子どもが死ぬたびに池に柵ができ、遊具は撤去され。石コロひとつですら危険物の存在は許されなくなった。
子どもを作って、それが育つのが当たり前となった。そして親にも子どもを育てる責任が生じるようになった。ちゃんと育てないといけないらしい。
しかし、子どもを育てることの見返りは少なくなった。昔の子どもは労働力でもあった。使い捨てられることもあった。労働力にならない子どもは捨てられた。あるいは食事を与えられなかった。本当に運良く生き延びて、やっと大人になったのである。しかし、今は子どもを育てても親にとって直接的な利益を生むことは少ない。あるいは、それを求めるべきではないと考える人が多くなった。
子どもを作ることのリスクとコストは増大したが、ベネフィットは低下した。人間は理性的な動物であるから、本能だけで子どもをどんどん作るわけではない。さらに避妊技術の進歩がある。性行動と繁殖行動の分離が進んでいるのである。少子化は必然だ。
「人間は子どもを作りたいと思うのが当然である」「子どもができたらそれを大事だと思うのが当然である」といった、親の無根拠な愛情を前提に置いた主張をするのはよした方がいい。それは一種の本能であるのかもしれないが、本能は万能ではない。人の行動から「情」の影響がまったくなくなることはないが、かといってすべての行動が「情」に基づくと考えることもできない。